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fromHEART代表
まこさんです。
ここでは、
ヒプノセラピスト・
ソーストレーナー・
心理カウンセラーのまこさんが、
日々の出来事や気づきについて書いていきます。どうぞよろしくお願いします。
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行動療法の父である心理学者B・F・スキナーは、
ある行動をするのが困難な場合、より簡単な行動や楽しめる行動の前に困難な行動をすることを薦めています。
つまり、試験勉強をしなければいけない時に、3時間勉強したら1時間テレビを観てもいいと決めるようなことです。
自分を変えていくために行動するにあたって、この技法を試してみて下さい。
恐れている行動を実行に移すのが難しい場合、
あなたの大好きなことや、できないとがっかりするようなことを、
恐れている行動のあとにやると、自分自身と契約するのです。
そうすることで、その作業を楽しめるようになります。
このように自分に報酬を与える事は、あなたが避けている宿題を確実に行なわせる訳ではありませんが、
その方向づけをし、実際にそれをあなたが行なう確率を上げます。
また、あなたがやろうと決めていた事をやらなかった場合には、逆に罰を与えます。
自分で決めた罰を実行するのは、容易ではありません。
罰を受けることを拒否したり、抵抗したりするかもしれません。
特に、アルコールやタバコ・ドラッグなどの依存症を強化によって克服することは、
かなりの困難をともない、激しい抵抗を生み出すかもしれません。
なぜなら、それを止めた時に自分に与える報酬が、続ける事による快楽ほどよく思えないからです。
ですがそのような時は、身近な人に罰を頼んでおくなどすれば、効果が期待できます。
強化やペナルティ及び罰を用いる事は、確実にあなたの変容を促進します。
しかし、必ずしもあなたの非合理的考えの変容には貢献しません。
このような技法を用いながら、同時に非合理的考えを突き止め、それに対して積極的・精力的に反論し、
より健全な理想へと変えていく努力をしてください。
人がなにか行動を起す時、それにともなう危険について考えることはとても合理的なことです。
特定の行動がもたらしうる悪い結果に対して、用心し、警戒し、心配することで、安全に幸せに生きることができます。
このような時は、自分の行動を控えたり、抑えたり、調整したりします。
しかし、躊躇したり、行動を控えることが、明らかに非合理的であったり自滅的である場合もあります。
例えば、就職面接に行こうとしなかったり、友達の中で話そうとしなかったり、交通事故を恐れて大通りを歩かない等は、問題であり、無意味な回避行動です。
これらの行動には確かにいくらかの危険はあるかもしれませんが、それを回避することで大きな行動の制限を受けるからです。
このような非合理的考えに気づいたら、まずは、回避行動に伴う不都合な側面と、
それらの非合理的な恐れを克服することによって得られる喜びを、それぞれ書き出してみて下さい。
書き出したことを見ながら、過去にそれらに関して生じたことを思い出してください。
例えば、人前で話して笑われたことなどです。
そして、それがどんなに不都合であったとしても、決して恐ろしかったり悲惨だったりしなかったと自分に言い聞かせます。
あなたは失敗にも関らず生き延びる事が出来ていて、今後も生きていけるのです。
そこでほとんどの失敗に害はないことを理解してください。
回避行動は危険な行動に対する恐れを和らげるのではなく、増幅させるだけだということも理解して下さい。
例えば「もしエレベーターが止まってしまったらどうしよう!」と怖がり、乗るのを避ければ避けるほど、その恐怖は大きくなるのです。
回避している行動をやってみることは、はじめは心地よくはありませんが、その不快感は耐える事ができて、結果として、フラストレーション耐性を強化できます。
何かが上手く出来ないからといって、他の人があなたを非難した時には、
それは非難したその人の問題であると考えます。
自分のまずい行動を理由に、自分を非難することは間違っています。
短所も含めて、自分を受容できるようになりましょう。
無害な行動を回避している自分の非合理的考えを突き止め、継続的に反論し、恐れている行動をやってみる危険を冒して、その時の自分の思考や感情を確かめてみてください。
自分が、いかに非合理的考えを繰り返していて、それがいかにおかしなことであるかに気づくのです。
大切なことは、繰り返し繰り返し、心地悪さを経験するリスクを冒すことです。
そうして心地悪さを感じなくなったら、かつて恐れていた行動を楽しめるようにさえなれるかもしれません!
これは、すべての非合理的な恐怖すべてに効く万能薬ではありませんが、
かなり役に立つことは間違いありません。
人間には、逆説的な側面があります。
例えば、自分の動揺を取り除こうと必死になると、いっそう動揺することがあります。
パニックになった時、「パニックになるべきではない!パニックになるなんて最悪だ!」
と強く思い続けていると、ますますパニックは悪化して、持続します。
これらの非合理的考えの中には、パニックが最悪なことで、自分をコントロールすることができず、
パニックが続く事で不都合なことや恐ろしい事が起きてしまうという考えがあります。
さらに、「パニックになることでさらにパニックに陥る」という二次的な不安は、最初の動揺をさらに悪化させます。
そして、自分の感情にとらわれることによって、効果的な対処が出来なくなるのです。
逆に、もし自分のパニックを逆説的に捉える事が出来れば、
そこから気をそらすことができ、効果的に対処することができます。
たとえパニックが続いたとしても、大惨事が起きるわけではないと信じることができます。
例えば、
「パニックはある意味ではワクワクするようなことで、自分が生きていると実感できる。
それは自分の感情経験の幅が広いということだし、パニックを通じて貴重な考察も得られる。」
と、自分に言い聞かせ、本当に信じるのです。
このように考えると、
1)自分のパニック感情から気をそらすことができます。
2)そのパニックを楽しむことすら可能になります。
3)悪い結果ばかりを想像する事が少なくなります。
4)このパニック状態に対処できれば、他のどんな逆境にも対処できるということに気づけます。
逆説的思考法や介入を行うと、なんでも悪いほうに考えることは止め、
現実的な問題や情緒的な問題の解決のほうに集中できるようになります。
逆説的に考えることは、他の場合だったら考えもしないようなリスクを冒してみる可能性を検討する機会になります。
ただし、この方法は自助的な意図があるということを十分に理解して行なう事が必要です。
例えば、対人関係で失敗する事を恐れているという人が、わざと嫌われるように振舞ってみるという方法があります。
これは、拒絶される事の「恐ろしさ」というとらわれから解放し、人から受け入れられようという努力を継続させる意図で行なうものです。そして拒絶される事で、恐ろしい事が起きるわけではないということに気づくこともできます。
ですが、このような意図を理解せず、単に嫌われるような行いをしていてはどうなるか・・・。
逆説的介入法は実験的に試してみるのがいいかもしれません。
自分に合うように調整してみて、もし効果がないようでしたら、やめることも必要です。
すぐにあなたの情緒的動揺を解決してくれるわけではありません。
新しい考えを受け入れ、言い聞かせる反面、
あなたには、その正反対の非合理的考えを強く信じ込む心の癖があるからです。
あなたには、自助的自己声明を復唱する能力がありますが、
何度繰り返したとしても、依然としてそれを受け入れられないという場合もあります。
多くの場合、それは強い欲求や習慣が合理的な思考を妨害しているのです。
「頭では分かっているけれども変われない。」という状態です。
このような時はどうすればいいでしょうか?
ひとつの方法として、ボイスレコーダーを使う方法があります。
自分の非合理的で同様の原因となっている考えを録音して、
その声に対して何度も強く反論していく、というものです。
その考えが非合理的で、自分にとって良くない結果をもたらすのだということ、
「ねばならぬ」を「だったらいいな」という願望に変えることができるのだということを、
本当に納得できるまでその作業を続けるのです。
あなた自身やあなたの友人が、その録音内容を聞いて、効果的な新しい考えが本当に浸透したと感じられるまで反論をやめてはいけません。
初めのうちは合理的で論理的な結論を、あまり信じていないという事に気づくかもしれません。
でも、継続していくうちに、あなたはそれをしっかりと信じられるようになり、
不健全な感情や行動を健全なものに変えることができるようになるでしょう。
人間の知覚・思考・行動には、すべて限界があります。
そのため、必ずしも最初に感じたり考えたりしたことが真実とはかぎりません。
私たちには、思考や人生観に影響された偏見があり、それをもちながらいろいろな経験をしています。
故に自分自身の感情も正確に認識できないことが多いのです。
自分の行動さえ、時と場合によって違った捉え方をします。
裁判の証言を観察してみると、対立する弁護人・証人、多くの裁判官が互いにかなり異なった見解をもっている事が分かります。
そして、問題となっている犯罪の真実の発見が非常に難しくなるのです。
あなたがなにかで情緒的に動揺した場合、動揺の逆境・受け止め方・結果を自分がどのように捉えているか懐疑的になってみることです。
例えば逆境について。
逆境は通常あなたの真意や利益に反する出来事です。
失敗や人から認めてもらえないこと、不愉快な出来事などです。
しかしこれらの逆境は、見方によって解釈が非常に異なります。
あるテストで、落第点を取る事は通常失敗とみなされます。
ですが、そのテストに出席できたこと、数問は正解できたこと、落第点はとったけれどこの経験から多くのことを学べたことなどから、ある意味成功したのだと考えることもできます。
逆境を判断する際には、あなたの偏見が関るので、正確な判断が特に困難になります。
例えばあなたがとても子供が欲しいと望んでいるのに、あなたと相手は不妊症で、その可能性が低いとします。
あなたはこの「事実」を絶対的なこととしてして捉えて、
子供を産むこと(あるいは相手に産んでもらうこと)は不可能だと判断するかもしれません。
でも、あなたは本当にすべてのデータを入手して、妊娠する可能性がゼロだということを証明できているのでしょうか?
たとえあなたと相手が確実に不妊症であると分かっても、この事実を完全な喪失と捉える必要がありますか?
養子を受け入れる可能性はありませんか?
常に子供と接していられる幼稚園のような職場で働く事はできませんか?
友人や親戚の子供を思う存分可愛がることはできませんか?
人生における逆境をどのように認知し評価するかに関して、あなたには選択肢があります。
逆境に直面して、不安・憂うつ・怒りが生じた時には、その出来事の「本当の重要性」を判断してみることです。
逆境を変えられるかどうか、何か代わりになることはないか考えてみます。
逆境に対する自分の捉え方を変えて、以前ほど否定的に捉えないようにすることもできるのです。