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プロフィール
HN:
まこさん
年齢:
54
性別:
男性
誕生日:
1970/08/16
職業:
fromHEART代表
趣味:
居合道・フェレット
自己紹介:
こんにちは!
fromHEART代表
まこさんです。
ここでは、
ヒプノセラピスト・
ソーストレーナー・
心理カウンセラーのまこさんが、
日々の出来事や気づきについて書いていきます。どうぞよろしくお願いします。
fromHEART代表
まこさんです。
ここでは、
ヒプノセラピスト・
ソーストレーナー・
心理カウンセラーのまこさんが、
日々の出来事や気づきについて書いていきます。どうぞよろしくお願いします。
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今日は不定期連載「誰もが信じている8つのウソ」をお届けします。
第6回は「妥協のウソ」です。
「自分のやりたいことを全部やることは可能だ。
むしろ、やりたいことはすべてやるべきだ。」
と言ったら、あなたはどう思いますか?
「私はやりたいこと全部やれてるし、欲しいものはすべて持っているよ。」
・・・と、自信を持って答えられますか?
「なにかを手に入れたいと望むのなら、何かを妥協しなければ。
すべてを手に入れたいというのはわがままだし、不可能だ。」
・・・と、思うでしょうか?
ことわざに、「二兎を追うものは一兎も得ず」とあります。
でもそれは本当でしょうか?
あなたは「カプコン」というゲーム会社を知っていますか?
ストリートファイターシリーズやバイオハザード、ロックマンシリーズ等を製作した大手ゲームメーカーです。
この会社に以前、岡本吉起常務という方がいらっしゃいました。
この方は業界ではやり手としてとても有名な方で、
まだファミコンの時代に小さなゲーム製作会社だったカプコンを
一部上場企業にまで成長させた立役者となった方です。
この方には持論がありまして、
「成功したけりゃ、何かを捨てろ!」というものでした。
人よりも成功したかったら、何かを犠牲にして、
その分仕事に打ち込むくらいじゃないと成功できるはずがない!と言うんです。
で、この岡本さんは、家族を捨ててしまったんですね。
毎日毎日、残業・接待・出張・休日出勤で、
うちに帰るのは週に1~2回、出張が重なると数ヶ月帰らないということもあったそうです。
以前、なにかのTV番組に出演されていた時に、
「子供が僕の顔を忘れちゃうんですよね~(笑)」とおっしゃっていました。
その岡本さんも考えが変わる時がきます。
カプコンで「スポーン」というアメリカンコミックをゲーム化することになって、
その作者のトッド・マクファーレンさんのお宅へ岡本さんが打ち合わせに行く事になったんです。
そこで岡本さんは衝撃を受けるんですね。
「自分は今まで”成功したけりゃ何かを捨てろ!”と思っていた。
でもこの人はすべてを持っている。
楽しんで打ち込める仕事、幸せな家族、高級住宅街に大豪邸、心を許せる友人、社会的地位etc…。」
それ以降、岡本さんのメディアへの発言が変わってきました。
業界全体を憂える発言や、人材育成に力を入れるようになりました。
家族との関係も変わったようです。
そして現在はカプコンを退社され、小さいながらもゲーム会社を立ち上げ業界に影響を与えるような作品をつくるかたわら、ヒューマンのゲームクリエーター科の校長として人材育成に尽力されています。
「結婚をしたら、家族のために自分のことは二の次にしなければ・・・。」
「仕事で成果をあげるためには遊んでいる暇なんかない!」
「本当はやりたい事があるけど、あきらめて家業を継がなければ・・・。」
「食っていくためには、夢なんて言っていられない。」
あなたはそんな風に”自分で決めて”いませんか?
もしあなたの人生が妥協の産物になり、二者択一の結果となっているのなら、
それは”あなたがそう信じている”からです。
あなたは、あなた自身の人生のデザイナーであり、エンジニアであり、設計士です。
自分の夢をかなえてくれる人生を自分の手でデザインして下さいね。
第6回は「妥協のウソ」です。
「自分のやりたいことを全部やることは可能だ。
むしろ、やりたいことはすべてやるべきだ。」
と言ったら、あなたはどう思いますか?
「私はやりたいこと全部やれてるし、欲しいものはすべて持っているよ。」
・・・と、自信を持って答えられますか?
「なにかを手に入れたいと望むのなら、何かを妥協しなければ。
すべてを手に入れたいというのはわがままだし、不可能だ。」
・・・と、思うでしょうか?
ことわざに、「二兎を追うものは一兎も得ず」とあります。
でもそれは本当でしょうか?
あなたは「カプコン」というゲーム会社を知っていますか?
ストリートファイターシリーズやバイオハザード、ロックマンシリーズ等を製作した大手ゲームメーカーです。
この会社に以前、岡本吉起常務という方がいらっしゃいました。
この方は業界ではやり手としてとても有名な方で、
まだファミコンの時代に小さなゲーム製作会社だったカプコンを
一部上場企業にまで成長させた立役者となった方です。
この方には持論がありまして、
「成功したけりゃ、何かを捨てろ!」というものでした。
人よりも成功したかったら、何かを犠牲にして、
その分仕事に打ち込むくらいじゃないと成功できるはずがない!と言うんです。
で、この岡本さんは、家族を捨ててしまったんですね。
毎日毎日、残業・接待・出張・休日出勤で、
うちに帰るのは週に1~2回、出張が重なると数ヶ月帰らないということもあったそうです。
以前、なにかのTV番組に出演されていた時に、
「子供が僕の顔を忘れちゃうんですよね~(笑)」とおっしゃっていました。
その岡本さんも考えが変わる時がきます。
カプコンで「スポーン」というアメリカンコミックをゲーム化することになって、
その作者のトッド・マクファーレンさんのお宅へ岡本さんが打ち合わせに行く事になったんです。
そこで岡本さんは衝撃を受けるんですね。
「自分は今まで”成功したけりゃ何かを捨てろ!”と思っていた。
でもこの人はすべてを持っている。
楽しんで打ち込める仕事、幸せな家族、高級住宅街に大豪邸、心を許せる友人、社会的地位etc…。」
それ以降、岡本さんのメディアへの発言が変わってきました。
業界全体を憂える発言や、人材育成に力を入れるようになりました。
家族との関係も変わったようです。
そして現在はカプコンを退社され、小さいながらもゲーム会社を立ち上げ業界に影響を与えるような作品をつくるかたわら、ヒューマンのゲームクリエーター科の校長として人材育成に尽力されています。
「結婚をしたら、家族のために自分のことは二の次にしなければ・・・。」
「仕事で成果をあげるためには遊んでいる暇なんかない!」
「本当はやりたい事があるけど、あきらめて家業を継がなければ・・・。」
「食っていくためには、夢なんて言っていられない。」
あなたはそんな風に”自分で決めて”いませんか?
もしあなたの人生が妥協の産物になり、二者択一の結果となっているのなら、
それは”あなたがそう信じている”からです。
あなたは、あなた自身の人生のデザイナーであり、エンジニアであり、設計士です。
自分の夢をかなえてくれる人生を自分の手でデザインして下さいね。
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みなさんは「ホ・オポノポノ」というセルフヒーリングをご存知ですか?
最近耳にする事も多くなってきましたが、
ホ・オポノポノとはもともとは400年前からハワイで行われてきた問題解決の方法だったそうです。
村や仲間の中で問題が起こるとこの方法で解決していたそうですが、
伝統的なホ・オポノポノにはまとめ役が必要なので、一人で出来るものではありませんでした。
それをハワイの伝統医療家であり、人間州宝のモナ・ナラマク・シメオナさんが、
セルフヒーリングの方法として体系化したのが現在のホ・オポノポノです。
伝統的な問題解決法と区別するために
「セルフアイデンティティ・ホ・オポノポノ(SITH)」とも呼ばれます。
現在の心理学では、心には
普段意識してコントロールできる部分=顕在意識
普段は意識できないコントロールできない部分=潜在意識
があると考えられています。
ホ・オポノポノでも同じように考えられていて、
顕在意識=ウハネ
潜在意識=ウニヒピリ
と呼ばれています。
さらに
超意識=アウマクア・・・神聖なる知識との橋渡しをする部分
神聖なる知識=カイ
があり、この4つを「セルフアイデンティティ」として、
神聖な知識とつながって本来の自分を取り戻すためのプロセスとしたのです。
つまり、ウハネ(顕在意識)が感じている問題はすべてウニヒピリ(潜在意識)にその原因があり、
ウニヒピリを癒しゼロにしていく事でアウマクア(超意識)を通じてカイ(神聖なる知識)とつながり、
本来の自分に気づき引き寄せていく、というのがホ・オポノポノのプロセスになります。
これを知った時、「ヒプノの考えとまったく一緒だなぁ。」と感じました。
ヒプノでは潜在意識にあるマイナスを癒して、本来もっているプラスに気づいていくという事をします。
そのためにインナーチャイルドを癒し、ハイアーセルフや過去世に出逢う事で気づきにしていきます。
インナーチャイルド・潜在意識のマイナス=ウニヒピリ
ハイアーセルフ・過去世=カイ
と考えればまさにそのものですよね?
違うのは、ヒプノでは癒しや気づきを得るのに「催眠」をつかいます。
ホ・オポノポノでは「4つの言葉」を言うだけです。
そう!たった4つの言葉を言うだけで、本来の自分を取り戻し、
自分に必要なものを引き寄せることができるのです!
凄くないですか?
しかもこの言葉は、たとえ信じていなくても言うだけでウニヒピリに届くので、
疑っていようが否定していようが言いさえすればOKだというのです。
その4つの言葉とは・・・・
「ありがとう」
「ごめんなさい」
「許してください」
「愛しています」
この言葉を、何か問題が起きたと感じた時や、自分自身をヒーリングしたい時などに言うと、
本来の自分・ゼロ地点に立つことができるのです。
こんなに簡単ならやらない手はないですよね?
この4つの言葉をもとにしたヒーリングミュージックもありますので、
ぜひこの言葉を心の中で繰り返しながら聞いてみて下さいね♪
ハワイの秘法 ホ・オポノポノ
http://jp.youtube.com/watch?v=ac5SGwRPv0o
最近耳にする事も多くなってきましたが、
ホ・オポノポノとはもともとは400年前からハワイで行われてきた問題解決の方法だったそうです。
村や仲間の中で問題が起こるとこの方法で解決していたそうですが、
伝統的なホ・オポノポノにはまとめ役が必要なので、一人で出来るものではありませんでした。
それをハワイの伝統医療家であり、人間州宝のモナ・ナラマク・シメオナさんが、
セルフヒーリングの方法として体系化したのが現在のホ・オポノポノです。
伝統的な問題解決法と区別するために
「セルフアイデンティティ・ホ・オポノポノ(SITH)」とも呼ばれます。
現在の心理学では、心には
普段意識してコントロールできる部分=顕在意識
普段は意識できないコントロールできない部分=潜在意識
があると考えられています。
ホ・オポノポノでも同じように考えられていて、
顕在意識=ウハネ
潜在意識=ウニヒピリ
と呼ばれています。
さらに
超意識=アウマクア・・・神聖なる知識との橋渡しをする部分
神聖なる知識=カイ
があり、この4つを「セルフアイデンティティ」として、
神聖な知識とつながって本来の自分を取り戻すためのプロセスとしたのです。
つまり、ウハネ(顕在意識)が感じている問題はすべてウニヒピリ(潜在意識)にその原因があり、
ウニヒピリを癒しゼロにしていく事でアウマクア(超意識)を通じてカイ(神聖なる知識)とつながり、
本来の自分に気づき引き寄せていく、というのがホ・オポノポノのプロセスになります。
これを知った時、「ヒプノの考えとまったく一緒だなぁ。」と感じました。
ヒプノでは潜在意識にあるマイナスを癒して、本来もっているプラスに気づいていくという事をします。
そのためにインナーチャイルドを癒し、ハイアーセルフや過去世に出逢う事で気づきにしていきます。
インナーチャイルド・潜在意識のマイナス=ウニヒピリ
ハイアーセルフ・過去世=カイ
と考えればまさにそのものですよね?
違うのは、ヒプノでは癒しや気づきを得るのに「催眠」をつかいます。
ホ・オポノポノでは「4つの言葉」を言うだけです。
そう!たった4つの言葉を言うだけで、本来の自分を取り戻し、
自分に必要なものを引き寄せることができるのです!
凄くないですか?
しかもこの言葉は、たとえ信じていなくても言うだけでウニヒピリに届くので、
疑っていようが否定していようが言いさえすればOKだというのです。
その4つの言葉とは・・・・
「ありがとう」
「ごめんなさい」
「許してください」
「愛しています」
この言葉を、何か問題が起きたと感じた時や、自分自身をヒーリングしたい時などに言うと、
本来の自分・ゼロ地点に立つことができるのです。
こんなに簡単ならやらない手はないですよね?
この4つの言葉をもとにしたヒーリングミュージックもありますので、
ぜひこの言葉を心の中で繰り返しながら聞いてみて下さいね♪
ハワイの秘法 ホ・オポノポノ
http://jp.youtube.com/watch?v=ac5SGwRPv0o
100kmウォーキングに参加してみて思ったことの一つに、
この大会は地元の人達に愛されているんだなぁ~という事があります。
歩いていると地元のの人達にやたらと声を掛けられるんですよね。
近所のおじさんが「まだ半分やぞ!がんばれ!がんばれ!」とか言ってきたり、
車で通り過ぎるときに「がんばってくださ~い!」と手を振ってくれたり、
今どきの若者が「どこからどこまで歩くんですか?すげ~!がんばって下さい!」とか。
13年続いた理由がこんなところにもあるのかもしれません。
さて、51kmのチェックポイントから先はどんどん楽になっていきました。
第4・第5と各チェックポイントで必ずマッサージを受けるようにして、
さらにその中間地点を選んでサポート部隊からも足を揉んでもらうようにしていました。
足の痛みも慣れてきたのか、脳内モルヒネがドバドバでていたのか、あまり気にならなくなりました。
このあたりから時間は深夜になってきましたが、ひたすら歩き続けていたせいか、
眠気もまったくありませんでしたし。
まぁ寝ちゃってたら二度と歩けなかったと思いますが。(*_ _).
なんにせよ、普通はみんなが一番苦しむ60km~90km地点をしれっと歩き通すことが出来ました。
が、僕が復活するのと対照的にたむごんの足の痛みがひどくなってきました。
50km過ぎたあたりから足が痛いと言っていたのですが、
僕と違ってテーピングをかなりしっかり固定するような形で巻いていたので、
エアーサロンパスや湿布を痛いところに貼れなかったんですね。
そのまま歩き続けてきたので、どんどんひどくなっていったようです。
さらに腰も痛いと言いだしました。
あまりに痛そうだったので、
「次のサポート部隊が待ってるコンビニで、一度テーピングを剥がしてケアした方がいいよ。
少し時間をロスしても、これから先の事を考えたらその方がいい。」
と薦めて、巻きなおす事にしました。
確か第4チェックポイントと第5チェックポイントの間だったと思います。
距離にすると65km地点くらいでしょうか?
参加者の中には携帯で
「もうこれ以上歩けません!リタイアします!」と、
上司か仲間かは分かりませんが、必死で訴えている若者もいます。
時間的にも心が折れそうになる時間帯。
でも、たむごんは決して折れませんでした。
痛みに耐えながら、僕のペースに合わせることができなくなって、
すごく間が離れてしまっても、必死で歩き続けました。
「ここまで一緒に来たんだから絶対一緒にゴールしよう!」
「リタイアは考えない!」
そう言って歩き続けました。漢だねぇ。
75kmのサポート地点でかなり間が開くようになっていたので、
残りの時間も考えて先行することにしました。
そして第6チェックポイント。81km地点。
ここではマッサージの順番待ちがすごい人数になっていて、
30分くらい待ちました。
僕が着いた時にちょうどtanisanが出発するところ。
そして順番待ちをしている時にサーティさんとも初めて会えました。
サーティさんとはスタートの時にも会えなかったので、
ここで会えて良かったです♪
これでメンタルから参加の6人全員とやっと顔をあわせることができました。
そしてここでたむごんが追いついてきました。
何故か僕より先にマッサージを終えることができたたむごんは
先に第6チェックポイントを出発。
まだ痛みはあるものの、
先ほどよりはずいぶん歩けるようになったみたいで良かった良かった♪
第6チェックポイントを過ぎてしばらくすると雨が降ってきました。
昨日からずっと曇りでとても歩きやすい天気だったので、
これくらいはご愛嬌といったところでしょうか?
そして迎えた第7チェックポイント。90km地点。
ここからのラスト10kmは30~50kmに次いできつかった区間でした。
体力的にきつかった部分もあったのですが、精神的なものが大きかったです。
ラスト10km。体力は落ちているとはいえ十分いけるレベル。時間的にも完歩は間違いない。
ということで、ちょっと安心してしまったんですね。
「百里の道を行くときは、九十九里をもって半ばとせよ」
という言葉を身を持って体感しました
最終チェックポイントの97km地点までの7kmが長いこと長いこと。
いままでの10kmよりもこの7kmの方が果てしなく長く感じられました。
またこの区間は伊良子岬の先の方、コンビニ等のドリンク補給ができるようなところが皆無。
そんな場所で手持ちのドリンクが尽きてしまい、サポートはtanisanのゴール待ちで待機中。
そんな事が重なりまして、とんでもなくきつかったです
いや~まだまだ修行が足りませんな。
最終チェックポイントからの3kmは海岸線沿いの道で、
海風とふたたび降り始めた雨が厳しかったけど、
その前の7kmの方が僕的には辛かったです。
後から聞くと、
みんなラスト3kmの海岸線が辛かったと口を揃えて言っていて、
やっぱり人と違うところで苦しんでるなぁ~と改めて思いました。
僕がゴールした時には、サポートのカミさんとくっぴー、
先にゴールしていたやまさんとtanisanが迎えてくれました。
その後、たっくん、たむごんのゴールを迎えて
チームメンタル名古屋校の100kmウォーキングは終わりました。
最初は一人で参加するつもりだったけど、
今思うと一緒に歩いた仲間やサポートしてくれた仲間、
応援してくれた先生方やミクシィで励ましてくれた人達がいなかったら、
完歩できなかったかもしれないなぁ~とつくづく思います。
なんだかゴールした時より、今思い出して書いている時の方がじ~んときているかも。
そんな素敵さが留まるところを知らない仲間達と出会えたことに
感謝の気持ちでいっぱいです。
出会ってくれてありがとう
さて、次は何にチャレンジしようかな?
おしまい。
この大会は地元の人達に愛されているんだなぁ~という事があります。
歩いていると地元のの人達にやたらと声を掛けられるんですよね。
近所のおじさんが「まだ半分やぞ!がんばれ!がんばれ!」とか言ってきたり、
車で通り過ぎるときに「がんばってくださ~い!」と手を振ってくれたり、
今どきの若者が「どこからどこまで歩くんですか?すげ~!がんばって下さい!」とか。
13年続いた理由がこんなところにもあるのかもしれません。
さて、51kmのチェックポイントから先はどんどん楽になっていきました。
第4・第5と各チェックポイントで必ずマッサージを受けるようにして、
さらにその中間地点を選んでサポート部隊からも足を揉んでもらうようにしていました。
足の痛みも慣れてきたのか、脳内モルヒネがドバドバでていたのか、あまり気にならなくなりました。
このあたりから時間は深夜になってきましたが、ひたすら歩き続けていたせいか、
眠気もまったくありませんでしたし。
まぁ寝ちゃってたら二度と歩けなかったと思いますが。(*_ _).

なんにせよ、普通はみんなが一番苦しむ60km~90km地点をしれっと歩き通すことが出来ました。
が、僕が復活するのと対照的にたむごんの足の痛みがひどくなってきました。


50km過ぎたあたりから足が痛いと言っていたのですが、
僕と違ってテーピングをかなりしっかり固定するような形で巻いていたので、
エアーサロンパスや湿布を痛いところに貼れなかったんですね。
そのまま歩き続けてきたので、どんどんひどくなっていったようです。
さらに腰も痛いと言いだしました。
あまりに痛そうだったので、
「次のサポート部隊が待ってるコンビニで、一度テーピングを剥がしてケアした方がいいよ。
少し時間をロスしても、これから先の事を考えたらその方がいい。」
と薦めて、巻きなおす事にしました。
確か第4チェックポイントと第5チェックポイントの間だったと思います。
距離にすると65km地点くらいでしょうか?
参加者の中には携帯で
「もうこれ以上歩けません!リタイアします!」と、
上司か仲間かは分かりませんが、必死で訴えている若者もいます。
時間的にも心が折れそうになる時間帯。
でも、たむごんは決して折れませんでした。
痛みに耐えながら、僕のペースに合わせることができなくなって、
すごく間が離れてしまっても、必死で歩き続けました。
「ここまで一緒に来たんだから絶対一緒にゴールしよう!」
「リタイアは考えない!」
そう言って歩き続けました。漢だねぇ。

75kmのサポート地点でかなり間が開くようになっていたので、
残りの時間も考えて先行することにしました。
そして第6チェックポイント。81km地点。
ここではマッサージの順番待ちがすごい人数になっていて、
30分くらい待ちました。
僕が着いた時にちょうどtanisanが出発するところ。
そして順番待ちをしている時にサーティさんとも初めて会えました。
サーティさんとはスタートの時にも会えなかったので、
ここで会えて良かったです♪
これでメンタルから参加の6人全員とやっと顔をあわせることができました。
そしてここでたむごんが追いついてきました。
何故か僕より先にマッサージを終えることができたたむごんは
先に第6チェックポイントを出発。
まだ痛みはあるものの、
先ほどよりはずいぶん歩けるようになったみたいで良かった良かった♪
第6チェックポイントを過ぎてしばらくすると雨が降ってきました。
昨日からずっと曇りでとても歩きやすい天気だったので、
これくらいはご愛嬌といったところでしょうか?
そして迎えた第7チェックポイント。90km地点。
ここからのラスト10kmは30~50kmに次いできつかった区間でした。
体力的にきつかった部分もあったのですが、精神的なものが大きかったです。
ラスト10km。体力は落ちているとはいえ十分いけるレベル。時間的にも完歩は間違いない。
ということで、ちょっと安心してしまったんですね。
「百里の道を行くときは、九十九里をもって半ばとせよ」
という言葉を身を持って体感しました

最終チェックポイントの97km地点までの7kmが長いこと長いこと。
いままでの10kmよりもこの7kmの方が果てしなく長く感じられました。
またこの区間は伊良子岬の先の方、コンビニ等のドリンク補給ができるようなところが皆無。
そんな場所で手持ちのドリンクが尽きてしまい、サポートはtanisanのゴール待ちで待機中。
そんな事が重なりまして、とんでもなくきつかったです

いや~まだまだ修行が足りませんな。
最終チェックポイントからの3kmは海岸線沿いの道で、
海風とふたたび降り始めた雨が厳しかったけど、
その前の7kmの方が僕的には辛かったです。
後から聞くと、
みんなラスト3kmの海岸線が辛かったと口を揃えて言っていて、
やっぱり人と違うところで苦しんでるなぁ~と改めて思いました。
僕がゴールした時には、サポートのカミさんとくっぴー、
先にゴールしていたやまさんとtanisanが迎えてくれました。
その後、たっくん、たむごんのゴールを迎えて
チームメンタル名古屋校の100kmウォーキングは終わりました。
最初は一人で参加するつもりだったけど、
今思うと一緒に歩いた仲間やサポートしてくれた仲間、
応援してくれた先生方やミクシィで励ましてくれた人達がいなかったら、
完歩できなかったかもしれないなぁ~とつくづく思います。
なんだかゴールした時より、今思い出して書いている時の方がじ~んときているかも。
そんな素敵さが留まるところを知らない仲間達と出会えたことに
感謝の気持ちでいっぱいです。
出会ってくれてありがとう

さて、次は何にチャレンジしようかな?

おしまい。
激痛に耐えながらの第1チェックポイント出発。
歩き始めはホント足を軽くしか曲げられず、
ロボットのように歩くことしかできません。
それでも、痛みに耐えながら歩を進めていきます。
ここで痛みに耐えかねてペースを落としているようでは、
時間内の完歩はおぼつかないと思い、むりやり歩き続けました。
実は100kmウォーキング参加を決めた時からこの時まで、
完歩できることを100%信じて疑いませんでした。
もちろん辛く厳しいだろうことを予測して準備と体調を整えてきた訳ですが、
不思議とゴールした時の感動とか喜びしか浮かばなかったんですよね。
でもこの時初めて
「痛みに耐えながらでも100km完歩はできると思う。でも、後半になってこれ以上痛むようになったら、
制限時間内に完歩できるかな・・・・。」という考えが頭をよぎりました。
いままで100%完歩を疑っていなかった自分でしたが、
おそらく2%程度だったと思いますが、初めて完歩を疑う気持ちがでてきました。
その時僕を救ってくれたのは一緒に歩いていたたむごんでした。
たむごんはそんな僕の気持ちなど知る由もない訳ですが、
それまでと同じように時速5kmほどで歩き続けていきます。
そのたむごんに遅れまいと必死に歩いていくことで、
ペースを落とさずになんとかこの時の苦境を乗り切る事ができました。
実は最後の90~100km区間を除くと、この30~50kmの20kmが一番辛かったんですよ。
普通は60~70km区間あたりでリタイアする人が多いそうです。
もちろんリタイアする気はまったくありませんでしたが、
人とは違うところで苦しんでいた訳ですね。
足の痛みが辛いだけで、体力的にはまだまだ平気だったのも幸いしたと思います。
途中、三谷というところでお祭りをやっていました。
山車が数台並んでいたのですが、ポスターをみると山車が海の中へ入っていくようです。
すごい!見てみたい!と思ったのですが、まだ時間は5時30分。
おそらく山車が海へ入るのは7時ごろなので、
ここでそんなに時間を使う訳にもいかず、断念しました・・・。
今思うとこんなこと考えられてたんだから、たいした苦境じゃなかったのかも
そんなこんなで、41km地点の第2チェックポイントへとやってきました。
ここはラグーナ蒲郡のすぐ目の前のコンビニの駐車場の一角にあります。
夜のラグーナは奇麗でしたが、こっちはそれどころじゃありません。
太ももの痛みは第1チェックポイントの時よりさらに激しくなっています。
エアーサロンパスやオーラソーマのポマンダーでケアしていると、
いつの間にかたむごんがいない!?
何処いったんだ?と思ってあたりを見渡してみると、
なんと足のマッサージを受けていました。
実は過去の大会で完歩した人たちがボランティアでサポーターをしてくれているのですが、
その中のマッサージの出来る人達が各チェックポイントでマッサージをしてくれるているのです!
第2チェックポイントを出発してしばらく歩いていくと、たむごんが、
「すげーいいよ!痛みが引くわけじゃないけど、足が楽になってる!
次のチェックポイントでやってもらった方がいいよ。」
と言うので、次は絶対やってもらおうと思い歩き続けました。
休憩して足が冷えると次に歩き出す時に激しく痛いけど、
しばらく歩いてだんだん筋肉が温まってくると多少ましになるので、
信号待ちの時もひたすら足を動かしていましたね。
このあたりから肩も痛くなってきました。
スタートから数えて12時間以上リュックを背負いっぱなしなので、
メチャメチャ肩がこっていたんですね。
次の51km地点、第3チェックポイントでは到着と同時にマッサージの方にお願いして予約をとりました。
「ももが特にひどいので重点的にお願いします。」
と頼むと、かなり力のある方で、それはもうみっちりとほぐしてくれました。
ついでに肩も少し揉んでもらうと、とんでもなく痛い!
でもおかげですごく楽になりました。
この後毎チェックポイントごとにマッサージをしてもらったのですが、
この人と90km地点の人が一番良かったですね。
出発しようと歩き出すと、痛みはあるもののすごく足が軽く感じられました。
さすがに歩き続けているとすぐにダメージが戻ってきますが、
それでも3~4kmは楽に歩けます。
出発して500mほど進むとカミさんから電話が。
くっぴーと一緒にもうすぐこちらに着くとのこと。
前半はこちらも体力があるので、
疲れてくる後半、特に深夜にサポートしてくれるように頼んであったのです。
次のチェックポイントまでの中間にあたる57km地点のコンビニで夕食をとろうと思っていたので、
そこで待ち合わせることに。
軽めの夕食をとり、足のマッサージをしてもらうとすごく楽になりました。
なにより精神的なものが大きかったと思います。
カミさんとくっぴーの顔をみたら、なんか力が湧いてきたんですよね。
実際、歩き始めると足が軽くなっていましたし。
ここまでちょっと元気が無くなってきていたのが、
二人と話せた事で戻ってきたのかもしれません。
ここで2%程あった疑いが100%の確信に戻りました。
絶対、完歩できると。
応援してくれる人や仲間のありがたさが身にしみた30km~57kmでした。
つづく。
歩き始めはホント足を軽くしか曲げられず、
ロボットのように歩くことしかできません。

それでも、痛みに耐えながら歩を進めていきます。
ここで痛みに耐えかねてペースを落としているようでは、
時間内の完歩はおぼつかないと思い、むりやり歩き続けました。
実は100kmウォーキング参加を決めた時からこの時まで、
完歩できることを100%信じて疑いませんでした。
もちろん辛く厳しいだろうことを予測して準備と体調を整えてきた訳ですが、
不思議とゴールした時の感動とか喜びしか浮かばなかったんですよね。
でもこの時初めて
「痛みに耐えながらでも100km完歩はできると思う。でも、後半になってこれ以上痛むようになったら、
制限時間内に完歩できるかな・・・・。」という考えが頭をよぎりました。
いままで100%完歩を疑っていなかった自分でしたが、
おそらく2%程度だったと思いますが、初めて完歩を疑う気持ちがでてきました。
その時僕を救ってくれたのは一緒に歩いていたたむごんでした。
たむごんはそんな僕の気持ちなど知る由もない訳ですが、
それまでと同じように時速5kmほどで歩き続けていきます。
そのたむごんに遅れまいと必死に歩いていくことで、
ペースを落とさずになんとかこの時の苦境を乗り切る事ができました。
実は最後の90~100km区間を除くと、この30~50kmの20kmが一番辛かったんですよ。
普通は60~70km区間あたりでリタイアする人が多いそうです。
もちろんリタイアする気はまったくありませんでしたが、
人とは違うところで苦しんでいた訳ですね。
足の痛みが辛いだけで、体力的にはまだまだ平気だったのも幸いしたと思います。
途中、三谷というところでお祭りをやっていました。
山車が数台並んでいたのですが、ポスターをみると山車が海の中へ入っていくようです。
すごい!見てみたい!と思ったのですが、まだ時間は5時30分。
おそらく山車が海へ入るのは7時ごろなので、
ここでそんなに時間を使う訳にもいかず、断念しました・・・。
今思うとこんなこと考えられてたんだから、たいした苦境じゃなかったのかも

そんなこんなで、41km地点の第2チェックポイントへとやってきました。
ここはラグーナ蒲郡のすぐ目の前のコンビニの駐車場の一角にあります。
夜のラグーナは奇麗でしたが、こっちはそれどころじゃありません。
太ももの痛みは第1チェックポイントの時よりさらに激しくなっています。
エアーサロンパスやオーラソーマのポマンダーでケアしていると、
いつの間にかたむごんがいない!?
何処いったんだ?と思ってあたりを見渡してみると、
なんと足のマッサージを受けていました。
実は過去の大会で完歩した人たちがボランティアでサポーターをしてくれているのですが、
その中のマッサージの出来る人達が各チェックポイントでマッサージをしてくれるているのです!
第2チェックポイントを出発してしばらく歩いていくと、たむごんが、
「すげーいいよ!痛みが引くわけじゃないけど、足が楽になってる!
次のチェックポイントでやってもらった方がいいよ。」
と言うので、次は絶対やってもらおうと思い歩き続けました。
休憩して足が冷えると次に歩き出す時に激しく痛いけど、
しばらく歩いてだんだん筋肉が温まってくると多少ましになるので、
信号待ちの時もひたすら足を動かしていましたね。
このあたりから肩も痛くなってきました。
スタートから数えて12時間以上リュックを背負いっぱなしなので、
メチャメチャ肩がこっていたんですね。
次の51km地点、第3チェックポイントでは到着と同時にマッサージの方にお願いして予約をとりました。
「ももが特にひどいので重点的にお願いします。」
と頼むと、かなり力のある方で、それはもうみっちりとほぐしてくれました。
ついでに肩も少し揉んでもらうと、とんでもなく痛い!

でもおかげですごく楽になりました。
この後毎チェックポイントごとにマッサージをしてもらったのですが、
この人と90km地点の人が一番良かったですね。
出発しようと歩き出すと、痛みはあるもののすごく足が軽く感じられました。
さすがに歩き続けているとすぐにダメージが戻ってきますが、
それでも3~4kmは楽に歩けます。
出発して500mほど進むとカミさんから電話が。
くっぴーと一緒にもうすぐこちらに着くとのこと。
前半はこちらも体力があるので、
疲れてくる後半、特に深夜にサポートしてくれるように頼んであったのです。
次のチェックポイントまでの中間にあたる57km地点のコンビニで夕食をとろうと思っていたので、
そこで待ち合わせることに。
軽めの夕食をとり、足のマッサージをしてもらうとすごく楽になりました。
なにより精神的なものが大きかったと思います。
カミさんとくっぴーの顔をみたら、なんか力が湧いてきたんですよね。
実際、歩き始めると足が軽くなっていましたし。
ここまでちょっと元気が無くなってきていたのが、
二人と話せた事で戻ってきたのかもしれません。
ここで2%程あった疑いが100%の確信に戻りました。
絶対、完歩できると。
応援してくれる人や仲間のありがたさが身にしみた30km~57kmでした。
つづく。
先週のブログでもお伝えしましたが、
10月25日(土)と26日(日)の二日間、
「三河湾100km歩け歩け大会」に参加してきました。
みなさんの応援のおかげで無事完歩することができました♪
そもそも何故この大会に出場しようと思ったのか?
それは昨年12月に伊勢修養団に参加した時までさかのぼります。
修養団の運営責任者の方が2007年の100kmウォーキングに参加された時の話を聞いて、
自分への挑戦というつもりで参加してみたいと思ったのが始まりでした。
その後、今年1月の日本メンタルヘルス協会名古屋校(以下メンタル)の新年会で、
「100kmウォーキングに出場しようと思っている」という話をすると、
一緒に出たい!という仲間と、サポートするよ!という仲間が現れ、
チーム「メンタル名古屋」が結成されました。
始めは一人で参加するつもりだったのですが、
メンタル仲間のたむごん・やまさん・たっくんが一緒に歩くことに。
さらにくっぴーとfarismoonがサポート役を申し出てくれました。
各人思い思いに準備をすすめ、
先生方の想いがこもった鉢巻も完成!
9月にはチームメンタルで決起集会も開き準備は万全!
そして10月25日(土)の当日をむかえました。
チームメンタルの参加者4名は集合が朝7時と早い事もあり、集合場所近くのホテルに前泊。
朝6時に起きて会場へと向かいました。
主催者であり集合場所の七福醸造に着くとスゴイ数の車と人!
さすがに1000名以上の参加者とサポーターが集まる大会です。
ゼッケンと詳しいコース案内図を受け取り、
別チームで参加のマイミクtanisanと合流。ここで記念撮影。
開会式の社長の話と諸注意が終わるといよいよスタートです!
が、1030名が一斉にスタートすると、まともに動けません
しばらくは集団でおしゃべりしながら楽しくウォーキング。
数キロ進むうちに次第に人がバラけてきて、やっと自分達のペースで歩けるようになってきました。
快調♪快調♪時速6kmくらいはでてたと思います♪
しばらく進むと、それまで4人で歩いていたはずが、いつの間にかたっくんがいない!!
・・・が、気にせず進む。(事前に自分のペースを守ろうねと話し合っていたためです。念のため。決して薄情な訳では・・
)
途中ドミーというスーパーで休憩しているとたっくんが合流。
どうやら途中でトイレに行っていたらしい。
ここのスーパーでたむごんがみかんを購入。網に入った8個入りくらいのやつ。
なんでそんな荷物になるようなものを?と思ったら、
「果物はすぐエネルギーになるし、疲れている時はすっぱいもの食べたいでしょ?」
と言ってみんなに配り始める。
・・・なるほど。確かに普段柑橘系を食べない僕がおいしく感じる。
たむごんありがとう!でも残ったみかんは自分で運んでね♪
12時を回ったので、近くのコンビニで昼食。
ここでtanisanと再会。
なんとtanisanはここまで休憩無しで歩いてきたとの事。
いやはや鉄人だ。(古いですか?
)
30km地点の第1チェックポイントまで後5kmほどになったところで、
やまさんがさらにペースを上げる。
僕とたむごんは後半ペースが落ちるだろうと予想し、
前半に稼ごうと思っていたところがあったので、
ちょっとオーバーペース気味だったのですが、
さらにペースを上げられるとちょっとついて行けなくなり、ここでやまさんと別れました。
第1チェクポイントで休憩しつつテーピングの確認。
実は以前この大会に参加したメンタルの先輩に、
マメができて80kmでリタイアしたという話を聞いていたので、
固定という意味より靴擦れ防止のためにテーピングをしてきていました。
といってもテーピングの巻き方なんて知らないので、
歩いていく過程で痛くなった箇所を休憩の度にテープで保護していました。
そのおかげで、マメや水ぶくれは大会中まったくありませんでした。
ありがとうチャーリー!!(あっ!名前言っちゃった。てへっ
)
しばらく休憩した後スタートしようとすると、太ももにどえらい激痛が。
どうやら前半のオーバーペースが祟って筋肉痛になった模様。
実は僕はもともと腰と膝が悪く、
今回の大会参加にあたって、
コルセットや膝サポーター、ふくらはぎサポーターに足首サポーター等で
腰と膝から下はがっちり固めていました。
ただ太ももだけはまったくのノーガードでした・・・。
ふくらはぎや足先はまったく平気なのに。
とりあえず湿布を太ももの前面と後面に貼ってテープで剥がれないように固定。
さらに足首と手首に着けていたサポーターをむりやり太ももに巻きつけてみました。
が、痛くなってから対処しても後の祭り。
激痛を抱えながらの出発となりました。
つづく。
10月25日(土)と26日(日)の二日間、
「三河湾100km歩け歩け大会」に参加してきました。
みなさんの応援のおかげで無事完歩することができました♪
そもそも何故この大会に出場しようと思ったのか?
それは昨年12月に伊勢修養団に参加した時までさかのぼります。
修養団の運営責任者の方が2007年の100kmウォーキングに参加された時の話を聞いて、
自分への挑戦というつもりで参加してみたいと思ったのが始まりでした。
その後、今年1月の日本メンタルヘルス協会名古屋校(以下メンタル)の新年会で、
「100kmウォーキングに出場しようと思っている」という話をすると、
一緒に出たい!という仲間と、サポートするよ!という仲間が現れ、
チーム「メンタル名古屋」が結成されました。
始めは一人で参加するつもりだったのですが、
メンタル仲間のたむごん・やまさん・たっくんが一緒に歩くことに。
さらにくっぴーとfarismoonがサポート役を申し出てくれました。
各人思い思いに準備をすすめ、
先生方の想いがこもった鉢巻も完成!
9月にはチームメンタルで決起集会も開き準備は万全!
そして10月25日(土)の当日をむかえました。
チームメンタルの参加者4名は集合が朝7時と早い事もあり、集合場所近くのホテルに前泊。
朝6時に起きて会場へと向かいました。
主催者であり集合場所の七福醸造に着くとスゴイ数の車と人!
さすがに1000名以上の参加者とサポーターが集まる大会です。
ゼッケンと詳しいコース案内図を受け取り、
別チームで参加のマイミクtanisanと合流。ここで記念撮影。
開会式の社長の話と諸注意が終わるといよいよスタートです!
が、1030名が一斉にスタートすると、まともに動けません

しばらくは集団でおしゃべりしながら楽しくウォーキング。
数キロ進むうちに次第に人がバラけてきて、やっと自分達のペースで歩けるようになってきました。
快調♪快調♪時速6kmくらいはでてたと思います♪
しばらく進むと、それまで4人で歩いていたはずが、いつの間にかたっくんがいない!!
・・・が、気にせず進む。(事前に自分のペースを守ろうねと話し合っていたためです。念のため。決して薄情な訳では・・

途中ドミーというスーパーで休憩しているとたっくんが合流。
どうやら途中でトイレに行っていたらしい。
ここのスーパーでたむごんがみかんを購入。網に入った8個入りくらいのやつ。
なんでそんな荷物になるようなものを?と思ったら、
「果物はすぐエネルギーになるし、疲れている時はすっぱいもの食べたいでしょ?」
と言ってみんなに配り始める。
・・・なるほど。確かに普段柑橘系を食べない僕がおいしく感じる。
たむごんありがとう!でも残ったみかんは自分で運んでね♪
12時を回ったので、近くのコンビニで昼食。
ここでtanisanと再会。
なんとtanisanはここまで休憩無しで歩いてきたとの事。
いやはや鉄人だ。(古いですか?

30km地点の第1チェックポイントまで後5kmほどになったところで、
やまさんがさらにペースを上げる。
僕とたむごんは後半ペースが落ちるだろうと予想し、
前半に稼ごうと思っていたところがあったので、
ちょっとオーバーペース気味だったのですが、
さらにペースを上げられるとちょっとついて行けなくなり、ここでやまさんと別れました。
第1チェクポイントで休憩しつつテーピングの確認。
実は以前この大会に参加したメンタルの先輩に、
マメができて80kmでリタイアしたという話を聞いていたので、
固定という意味より靴擦れ防止のためにテーピングをしてきていました。
といってもテーピングの巻き方なんて知らないので、
歩いていく過程で痛くなった箇所を休憩の度にテープで保護していました。
そのおかげで、マメや水ぶくれは大会中まったくありませんでした。
ありがとうチャーリー!!(あっ!名前言っちゃった。てへっ

しばらく休憩した後スタートしようとすると、太ももにどえらい激痛が。
どうやら前半のオーバーペースが祟って筋肉痛になった模様。
実は僕はもともと腰と膝が悪く、
今回の大会参加にあたって、
コルセットや膝サポーター、ふくらはぎサポーターに足首サポーター等で
腰と膝から下はがっちり固めていました。
ただ太ももだけはまったくのノーガードでした・・・。
ふくらはぎや足先はまったく平気なのに。
とりあえず湿布を太ももの前面と後面に貼ってテープで剥がれないように固定。
さらに足首と手首に着けていたサポーターをむりやり太ももに巻きつけてみました。
が、痛くなってから対処しても後の祭り。
激痛を抱えながらの出発となりました。

つづく。